その後

葬儀の後、家に帰る前に皆でドライブしました。
 
場所は、ラフと一番多く通った道。
一番多く通ったところ。
鵠沼の皮膚科米倉動物病院。
 
こんな時も病院でゴメンネ。
でも、時には毎週、およそ各週で土曜日の朝は、ここに通いました。
何年通っただろう?
 
おかげで鵠沼へ行く道はパパはプロです^^
心臓が悪くなって2年少々。
鵠沼には通っていませんでしたが、久しぶりにラフを載せてドライブしました。
 
米倉先生は体調を崩して病院を閉鎖したのは聞いていました。
病院は看板はついてましたが、やはりやっていなかったようです。
「ここにずっと通ったよね〜。ラフ」と話かけながら。
 
自宅に帰ってから、写真とか、お供えを準備しました。
 
13日は区役所にて、手続き。
 
まだいろんなことを思い出し涙が出てきます。
 
我慢しないで泣こう。と思いボロボロと泣いています。
 
パパにはいろいろ後悔することがあります。
 
ラフがお散歩嫌がっていたのに、そのままじゃ体力落ちちゃうよ。もう少しだけ頑張ろう!と言って少し歩かせました。
ラフは本当に苦しくて歩きたく無かったんだと思います。ゴメンネ。
 
いつも散歩の際は、ラフの鼓動を手で確認しながら散歩してました。
8月下旬、ラフの心臓の鼓動が弱くなっているのを感じてました。
先生にもその話をしたのですが、もっと強く説明すべきだったのでは。
 
8月下旬にチアノーゼ起こして倒れた時、意識が無いはずなのに
クーーーーンと何回も泣いてました。
失神した時に泣いたのは。初めてでした。
凄く苦しくて僕に助けを求めていたんでしょう。
 
最後の面会の時に、ラフはお家に帰りたい。と言ってました。
また明日も面会に来るからね。と言って帰りました。
そのまま、ラフとはお話できないまま、死を迎えることになってしまいました。
寂しかっただろうな、、、。
なんで朝、面会に行かなかったの!いつものように元気に戻ってくると思い込んでいたでしょう!
最後はパパの腕の中でと思っていたのに。
最後を看取ってあげれなかった。ゴメンネ、ラフ。
 
パパは仕事が忙しくてほとんど家にいなかった12月〜6月の間、ラフはずっと下痢で体調を崩してました。
パパが家にいた7月〜8月は下痢も収まってました。
パパと一緒に居たかったのかな。
ゴメンネ、ラフ。
 
もう一度ラフに会いたいなぁ。
会ってお話したい。
そうだよ!パパ。
そんなことないよ。パパ。
なんでもいいから。話がしたい。
ずっと思いつめてました。
 
ママにこの話をして、少し楽になりました。
 
ラフはそんなことばかり考えるような子では無かった。
明るく、愛想よく、周りの皆が大好きなカワイイ ラフ。
ラフの良いところを忘れないようにしないと。
 
ダメなパパでゴメンネ。
でも少しずつ、パパ前進してるよ。